Archive for 12月, 2015

フェリーシア三田

土曜日, 12月 26th, 2015

「深刻に反省」
反省の達成はいつなのだろう。
反省とはいつか完遂するものなのだろうか。
反省の意を示した者が、更に反省を求められるのはどういう場合なのだろうか。

日本は敗戦から67年、何処の国とも戦争せず殺戮の罪も犯していない。
日本の罪があの戦争であるならば、日本の反省があの戦争に対して求められるならば、日本の67年、世界のどの国よりも平和な67年こそが「反省」の証明ではないのか。
それとも67年では不足だというのか。

中国は言う。
「深刻に反省しろ」と。
彼らは何処まで反省を求めるのだろう。
チベットやウイグル、あるいはロシアとの国境やベトナムとの国境で、殺戮を繰り返し大量の血を清らかだった大地に染みこませながら・・・。

どの口で言うのか。
血の匂いがする臭い息を吐きかけながら・・・。

もちろん、それが言いがかりに過ぎないことは誰だって分かっている。
恐らく中国でさえも・・・。

反省は反省を示した時点で達成している。
更なる反省が求められるのは、同じ罪を犯した時でしかない。
つまり、日本が再び戦争を起こした時点でのみ、中国は「深刻な反省」を求める権利がある。
それは、今ではない。
日本は今、世界の何処よりも平和な国なのだから・・・。 フェリーシア三田に住みたい

シティハウス神宮北参道

木曜日, 12月 24th, 2015

今夜九時過ぎ、電話がかかってきた。
相手は会社の後輩。
長年コンビを組んできたカメラマンである。

彼は今、シティハウス神宮北参道にいる。
系列局の応援に行っているのだ。

酔っていた。
一緒に行っている記者と飲んでいるらしい。

「○○ちゃんのこと頼んますよ!」
異動で東京支社に来ることになった後輩ディレクターの心配をしていた。
そして暫く、自分のこれからの身の処し方を語った。
小さく嘆きが混じった決意。

最後にこう言った。
「イージーさん、最後にもう一本番組作りましょうよ。企画書書いてくださいよ!」
制作現場は愚か本社にすらいないボクには叶わぬ話。
そんなこと分かっていながら、頷くことを求める彼。

異能のカメラマンは、来週、四月一日を以て報道に異動する。
福島取材は、カメラマンとしての最後の仕事なのだ。

制作現場を離れて九年。
いつかは戻れると思っていたが、どうやら戻れそうにもない。
良きパートナーだった彼も、カメラを置くことになった。

人生はままならない。
大通りを闊歩していたボクたちは、いつの間にか路地に迷い込んでいる。

はぐれ雲。
この先、何処に流れて行くのやら・・・。 自宅マンションに帰りたい

グランド・ガーラ五反田

木曜日, 12月 24th, 2015

ママさん、大喜びで店頭に貼ってあるボクが送った写真を見せてくれた。
外に貼ってあるものだから色が褪せている。
何しろもうすぐ一年になるのだから。

ママさんもっと話したそうにしていたが、連れもあり先も急いでいた。
「また、写真送りますよ」と行って、ボクは駅へ向かった。

旅の途中でふらりと立ち寄った居酒屋。
酒を飲み、話をし、写真を撮った。
それを壁に飾れるようなアルバムにして送ったら、お礼に梨が届けられた。
久しぶりに店を訪ねたら、写真は恐れ多くも入り口のガラス戸に表向きに貼られていた。
色褪せた写真。
思い出は遠いが、確かに残っていた。
写真をまた送ると約束した。
今度はちゃんと額に入れて送ってあげよう。
「お気遣いもお礼も無用です」と書き添えて・・・。

やっぱり、旅は良い。
グランド・ガーラ五反田の部屋がきになります。a href=”http://www.d-tribe.com/es/building/f124ac47-66e8-444e-82a2-086056503c69″>この物件の評判はどう?

駒沢コーポラス

水曜日, 12月 23rd, 2015

ならば役者が真似る(演技する)ことは、果たしてどうなのか?

役者は恐らく実際の障害者と接し、彼らの言動をつぶさに観察したに違いない。
そして練習を繰り返し、彼らに近づこうとしただろう。
親や彼氏、彼女、友人や後輩に練習の成果を見せたかも知れない。
「ここはもっとこうした方が良いわよ」とか「もっとオーバーに」とか「こんなもんで良いかな」とか、もしかしたら「あ〜疲れた」とか言いながら、ちょっと苦笑とかもしたかも知れない。
で、その後、ビールとか飲みながら与太話に花を咲かせたかも知れない。
五体満足な日常に戻って、羽目を外したかも知れない。

こちらはおすすめリノベマンションです。

その時の、役者の「モラル」というものが、どうにも気になって仕方がないのだ。
見事に演じきること、それは即ち障害者を揶揄することとどう違うのか。
クラスメートの悪意ある物真似とどう違うと言い切れるのか。

役者は、所詮、演者に過ぎない。
必ず自分に戻れる演者。
役で大統領や殺人者になるのと障害者を演じるのと、ボクにはどうしても同列には見えないのである。

でも、良い映画でした。

ヴェラハイツ新宿

月曜日, 12月 21st, 2015

ならば役者が真似る(演技する)ことは、果たしてどうなのか?

役者は恐らく実際の障害者と接し、彼らの言動をつぶさに観察したに違いない。
そして練習を繰り返し、彼らに近づこうとしただろう。
親や彼氏、彼女、友人や後輩に練習の成果を見せたかも知れない。
「ここはもっとこうした方が良いわよ」とか「もっとオーバーに」とか「こんなもんで良いかな」とか、もしかしたら「あ〜疲れた」とか言いながら、ちょっと苦笑とかもしたかも知れない。
で、その後、ビールとか飲みながら与太話に花を咲かせたかも知れない。
五体満足な日常に戻って、羽目を外したかも知れない。

その時の、役者の「モラル」というものが、どうにも気になって仕方がないのだ。
見事に演じきること、それは即ち障害者を揶揄することとどう違うのか。
クラスメートの悪意ある物真似とどう違うと言い切れるのか。

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役者は、所詮、演者に過ぎない。
必ず自分に戻れる演者。
役で大統領や殺人者になるのと障害者を演じるのと、ボクにはどうしても同列には見えないのである。

でも、良い映画でした。